写真を撮るようになってから
自分の好みや、仕方ないほど出てくる自分のカラーを
客観的に見ることがすんなりできるようになってきたようにおもう
私は、人が動く途中の動作に色気を感じる
写真の前にたち、撮られていることに意識させて撮る写真に色気を感じない
何のことを言いたいのか、
意識させずに瞬間を捉える事が出来ている写真を見て
チョイスしている私がいるから結果、そう思う
そうその隙間の表情って
とってもセクシイだと感じる

だから撮り終わるまで
なにせ時間がかかる
ひととひとがだんだんにコミュニケートしていくときに似ていると思う
被写体がそのイメージなら、と作った顔をコチラに向けてくれていても
どうもこう・・・・・
コナイのだ(イメージとかみ合わない)
でも
クルときもあって・・
そう、作るのは架空のことだけれど、
その中にフィクションだけを前面にだすのは苦手である
こう撮るぞーなんてもんは、ある程度でいい気がする
その瞬間に出てきた雰囲気を切り取って、封じ込めたい。
そんな乙女心がわたしにはある

そして素の表情がすきです
その人がふっっと見せる間合いの顔って
ステキよね
きっと自分自身は見ることが出来ない表情なんだよ
そんな顔や表情を見て欲しいという
わたしのエゴと
イメージからなる共同作業
